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2026/09/06 15:00

「私たちは、ミツバチが私たちを選んでくれていると、心から信じています」

そう語るのは、チリの家族経営の養蜂ブランド「Abeja Dorada」のオーナー、Maria Jesús Espinozaさんです。

今回のインタビューでは、約100年にわたって受け継がれてきた家族の養蜂と、Mariaさんがこの仕事を受け継いだ理由を聞きました。

👉️インタビューその1はこちら


ミツバチに人生を捧げたフアン

Abeja Doradaの物語は、1930年、フアンという一人の養蜂家から始まりました。

ごく普通の家庭に生まれながら、ミツバチに人生を捧げる決断をしたフアン。当時のチリではまだ珍しかった瞑想や断食を行い、自然や存在そのものとの「つながり」を大切にしていました。

周囲の常識に従うのではなく、何か違うものを探す運命を持っていた——Mariaさんは、フアンについてそのように語ります。

家族が望む道とは異なる生き方を選んだため、家族と対立することもありました。それでもフアンは、たった一つの巣箱とともにAbeja Doradaを立ち上げます。

その一つの巣箱が、やがて多くの巣箱へと広がっていきました。

養蜂は、代々受け継がれる職人仕事

「養蜂は、経済的にそれほど儲かる業種ではありません。昔も今も、それは変わらないと思います」

Mariaさんは、養蜂を単なる産業としてではなく、世代を越えて受け継がれる仕事として捉えています。

「養蜂は職人仕事であり、代々受け継がれていくものです」

ミツバチの状態を見つめ、自然の変化に耳を澄ませ、その年、その土地にしか生まれないはちみつを作る。それは世代を超えて受け継がれた、長い経験の積み重ねです。


ミツバチが「今という瞬間」へ連れ戻してくれる

Mariaさんが養蜂の仕事で最も好きなのは、「つながり」だといいます。

養蜂場に入ると、完全に「今という瞬間」に身を委ねることができる。ただ今だけが存在し、自分たちが意識している以上に、多くのものがそこに存在していることに気づく。

その流れに身を任せることが、Mariaさんにとって何よりも好きな時間です。


「これを失うわけにはいかない」

Mariaさんが「おじさん」と呼んでいた、会社を支える人物が亡くなったとき、Abeja Doradaは担い手を失いました。

そのときMariaさんの心に浮かんだのが、「これを失うわけにはいかない」という思いでした。

彼女はAbeja Doradaに入り、約100年の歴史を持つブランドを受け継ぐことを決めます。

けれどMariaさんは、それを自分の意志だけによる選択だとは考えていません。

「私たちが自ら選ぶ以上に、選ばれているのだと心から信じています」

非合理的で、非論理的ともいえる、避けることのできない「天からの呼び声」。それが自分をAbeja Doradaへ導いたのだといいます。

そして最後に、こう語ります。

「それはミツバチのおかげだったのだと、強く信じています」


はちみつの向こうにある物語まで届けたい

この動画で語られているのは、はちみつの商品説明ではありません。

一つの巣箱から始まり、約100年にわたって受け継がれてきた家族の仕事。そして、人がミツバチを選ぶのではなく、ミツバチによって選ばれているという自然を尊重する哲学です。

MARIPOSAがスペシャルティハニーを通して届けたいのも、味わいだけではありません。

その土地には、どんな自然があるのか。

どんな花から採れたのか。

どんな人が、どんな思いでミツバチと向き合っているのか。

私たちは、一瓶の向こう側にあるものまでできる限り知り、その背景も含めて皆さまへお伝えしたいと思っています。

そのひと匙に、大地が息づく。
海を越えて、重なる想い。


1.まず、自己紹介とAbeja Doradaでの役割を教えていただけますか?

Maríaさん:

私はMaría Jesús Espinozaです。家族経営の会社「Abeja Dorada」のオーナーを務めています。

私たちは、約100年にわたってミツバチを守り続けてきました。

その物語は、フアンという一人の人物から始まりました。

私たちは、自分たちがミツバチを選んだのではなく、ミツバチが私たちを選んでくれたのだと、心から信じています。

そして、フアンこそが最初にミツバチから選ばれた人だったのだと思います。

1930年、彼はごく普通の家庭に生まれながら、ミツバチに人生を捧げるという決断をしました。

それが、Abeja Doradaの始まりです。


2.養蜂の仕事の中で、Maríaさんが最も好きなことは何ですか?

Maríaさん:

私が一番好きなのは、「つながり」です。

ミツバチは、私たちを「今、ここ」という瞬間へといざなってくれる存在だと思います。

養蜂場に入ると、完全に「今という瞬間」に身を委ねることができます。

そこには、ただ「今」だけが存在しています。そして、自分たちが意識している以上に、たくさんのものが存在していることに気づかされます。

その流れに身を任せること。

それが、養蜂の仕事の中で、私が何よりも好きなことです。


3.Abeja Doradaには約100年にわたる家族の養蜂の歴史があると伺っています。ご家族の養蜂は、どのように始まったのでしょうか?

Maríaさん:

始まりは、先ほどお話ししたフアンです。

当時のチリの人々が考える「普通」という基準からすれば、フアンはとても特別な人物でした。

彼は瞑想をしたり、断食をしたりしていました。また、自然や人間の存在そのものに対して、深い関心を持っていたのだと思います。

当時のチリでは、瞑想や自然とのつながり、ましてや断食や健康的な食事について語られることは、ほとんどありませんでした。

人々は、「大地が与えてくれるものを食べる。それでいい」という姿勢で暮らしていました。それ以上のことを深く考える習慣は、まだなかったのです。

そのような時代の中で、フアンには、何か違うものを探そうとする「運命」があったのだと思います。

養蜂は、経済的にそれほど大きく儲かる仕事ではありません。昔も今も、それは変わらないと思います。

養蜂は職人仕事であり、世代から世代へと受け継がれていくものです。

私たちの仕事の方法には、ドイツからの影響もあります。フアン自身も、ドイツ系の血を引いていました。

そうした背景から、彼は当時のチリでは一般的ではなかった働き方や考え方に触れていきました。

フアンは強い反骨精神の持ち主でもありました。家族が望んでいた道とは異なる生き方を選んだことで、家族と対立することもありました。

それでも彼は、Abeja Doradaを立ち上げました。

始まりは、たった一つの巣箱でした。

その一つの巣箱が、やがて少しずつ増え、多くの巣箱へと広がっていったのです。


4.Maríaさんご自身が、この仕事を受け継ぎ、Abeja Doradaに携わろうと思った理由は何だったのでしょうか?

Maríaさん:

これは、とても個人的な考えです。

私は多くの場面で、自分たちが何かを選んでいる以上に、私たち自身が「選ばれている」のだと心から信じています。

私にも、避けることのできない「天からの呼び声」のようなものがありました。

合理的とはいえず、論理だけでは説明できない感覚でしたが、それが私をAbeja Doradaへと導いたのです。

そこには、家族で経営してきた会社と、約100年の歴史を持つブランド、そして建物がありました。

私が「おじさん」と呼んでいた人が亡くなったとき、会社を担う人がいなくなってしまいました。

そのとき、私はふと感じたのです。

「これを失うわけにはいかない」

そう思い、私は会社に入りました。

そして今でも、それはミツバチのおかげだったのだと強く信じています。

→[ 養蜂家Maríaさんインタビュー(その2)を見る ]